category: ドラえもん マンガ
DATE : 2007/04/08 (Sun)
DATE : 2007/04/08 (Sun)
評価
自他ともに認める作者の代表作であり、国際的に知られた作品でもある。第2回(昭和47年)日本漫画家協会賞優秀賞、第27回(昭和56年度)小学館漫画賞、第1回(1997年)手塚治虫文化賞マンガ大賞、第23回(1994年)日本漫画家協会賞文部大臣賞を受賞している。本作を執筆中に藤子が逝去した際、「代表作であり、同時にライフワークであった」とも関係者・読者に再認識させた。
日本では説明不要の「一般教養」と化しており、新聞の見出しで青い服を「ドラえもん」と比喩したり、新聞の投書欄や他の漫画作品で「欲しいものが何でも手に入る」という比喩で「ドラえもん」や「ドラえもんのポケット」が使われたことがある。また、ドラえもん以外のレギュラーも有名で、ドラマの台詞でも「(眼鏡をかけた顔を見て)のび太みたい」、それに対して「そっちこそスネ夫みたいな顔して」などというものがある。
2002年には、タイム誌アジア版の「アジアのヒーロー」25人の一人としてドラえもんが選出された。[15]
2005年、日本財団がニューヨークで行った展覧会「リトル・ボーイ:日本の爆発するサブカルチャー作品」は、本作を日本の文化にとって重要な作品として位置づけている。[要出典]展覧会を企画したアーティスト村上隆は、『ドラえもん』の類型化した筋立ては1970年代の日本の「願望充足希求」的心性を的確に示していると分析している。[要出典]1970年代の日本では電子技術の発達により、個人の知性や勤勉よりも、機械の使用によって問題が解決されるという予測が魅力的な未来像として提示されていた。
批判
コロコロコミック黎明期においてはページの7割以上が本作品で占められていた。「だいばくしょうギャグマンガ」という触れ込みで人気を博しており、"のび太はドラえもんに力を借りても失敗する"という道化の笑いを意図した作風であることからPTAを始めとする教育者層からは当時で言うところの悪書として批判にさらされていた。 そのため近年は大長編(後述)などの映画化作品では「友情」をテーマにした作風に変貌しつつあり、「だめな奴は何をやってもだめ」というオチに代表されるギャグマンガの王道からはかけ離れたものとなっている。
自他ともに認める作者の代表作であり、国際的に知られた作品でもある。第2回(昭和47年)日本漫画家協会賞優秀賞、第27回(昭和56年度)小学館漫画賞、第1回(1997年)手塚治虫文化賞マンガ大賞、第23回(1994年)日本漫画家協会賞文部大臣賞を受賞している。本作を執筆中に藤子が逝去した際、「代表作であり、同時にライフワークであった」とも関係者・読者に再認識させた。
日本では説明不要の「一般教養」と化しており、新聞の見出しで青い服を「ドラえもん」と比喩したり、新聞の投書欄や他の漫画作品で「欲しいものが何でも手に入る」という比喩で「ドラえもん」や「ドラえもんのポケット」が使われたことがある。また、ドラえもん以外のレギュラーも有名で、ドラマの台詞でも「(眼鏡をかけた顔を見て)のび太みたい」、それに対して「そっちこそスネ夫みたいな顔して」などというものがある。
2002年には、タイム誌アジア版の「アジアのヒーロー」25人の一人としてドラえもんが選出された。[15]
2005年、日本財団がニューヨークで行った展覧会「リトル・ボーイ:日本の爆発するサブカルチャー作品」は、本作を日本の文化にとって重要な作品として位置づけている。[要出典]展覧会を企画したアーティスト村上隆は、『ドラえもん』の類型化した筋立ては1970年代の日本の「願望充足希求」的心性を的確に示していると分析している。[要出典]1970年代の日本では電子技術の発達により、個人の知性や勤勉よりも、機械の使用によって問題が解決されるという予測が魅力的な未来像として提示されていた。
批判
コロコロコミック黎明期においてはページの7割以上が本作品で占められていた。「だいばくしょうギャグマンガ」という触れ込みで人気を博しており、"のび太はドラえもんに力を借りても失敗する"という道化の笑いを意図した作風であることからPTAを始めとする教育者層からは当時で言うところの悪書として批判にさらされていた。 そのため近年は大長編(後述)などの映画化作品では「友情」をテーマにした作風に変貌しつつあり、「だめな奴は何をやってもだめ」というオチに代表されるギャグマンガの王道からはかけ離れたものとなっている。
PR
category: ドラえもん マンガ
DATE : 2007/04/08 (Sun)
DATE : 2007/04/08 (Sun)
執筆活動
複数の雑誌で同時連載されていたため、本作の絵柄は急速に変化したと考えられる。1つの作品の異なる物語を各学年誌に同時連載することは連載漫画としては比較的珍しい形態であるが、本作は子供向け作品・学年ごとに読者層が分けられている学習雑誌連載作品としての性質上、物語作りについての配慮がなされており(低学年の児童に高学年向けの話は難しい場合があり、逆に高学年児童に低学年向けの話は物足りなく感じられる。また、ある学年の3月号を読んだ次月にはもう1学年上の学年誌を繰り上がり購読することになるため(一応最終回になっていたりいくつかの連載作品の継続も必要となる)、読者年齢層が決まっている他雑誌には見られないシステムとなっている。低学年向けには、大きいコマとシンプルなコマ割、分かり易いプロットで描かれていたものが対象学年があがるにつれ表現やプロットが少しずつ複雑になっていくのが最大の特徴。単行本ではそれらが順不同に収録されている。(登場人物の等身の違いなど)これらの作業を藤子プロと藤子がどのような役割分担で作業していたかは不明だ。藤子作品以外の学年誌連載漫画でも人気・看板作については同様のシステムがとられることが多い。
複数の雑誌で同時連載されていたため、本作の絵柄は急速に変化したと考えられる。1つの作品の異なる物語を各学年誌に同時連載することは連載漫画としては比較的珍しい形態であるが、本作は子供向け作品・学年ごとに読者層が分けられている学習雑誌連載作品としての性質上、物語作りについての配慮がなされており(低学年の児童に高学年向けの話は難しい場合があり、逆に高学年児童に低学年向けの話は物足りなく感じられる。また、ある学年の3月号を読んだ次月にはもう1学年上の学年誌を繰り上がり購読することになるため(一応最終回になっていたりいくつかの連載作品の継続も必要となる)、読者年齢層が決まっている他雑誌には見られないシステムとなっている。低学年向けには、大きいコマとシンプルなコマ割、分かり易いプロットで描かれていたものが対象学年があがるにつれ表現やプロットが少しずつ複雑になっていくのが最大の特徴。単行本ではそれらが順不同に収録されている。(登場人物の等身の違いなど)これらの作業を藤子プロと藤子がどのような役割分担で作業していたかは不明だ。藤子作品以外の学年誌連載漫画でも人気・看板作については同様のシステムがとられることが多い。
category: ドラえもん 映画
DATE : 2007/04/08 (Sun)
DATE : 2007/04/08 (Sun)
テレビアニメに続いて劇場用アニメ映画が作られることになり、その原作とするために描かれた長編漫画を「大長編ドラえもん」と呼ぶ。
第1作『のび太の恐竜』は、短編作品としてすでに発表されていたものに加筆したもの。コロコロコミック1980年1月号から3回にわけて漫画版が連載され、1980年3月15日にアニメ版が劇場公開された。
それから毎年、映画制作スタッフや原作者がストーリーを構成し、映画公開までに漫画版を集中連載し、漫画が完結したすぐあとの3月初旬から中旬に映画版を公開するというスケジュールが確立された。『のび太のねじ巻き都市冒険記』を最後に原作者は亡くなり、原作者死去後の『のび太の南海大冒険』(1998年)から、『のび太のワンニャン時空伝』(2004年)までは、映画制作スタッフによるオリジナルストーリーで映画の制作が継続しており、映画のストーリーを藤子・F・不二雄プロが漫画化している。
また短編に比べて物語の規模が大きいのが特徴。短編では狭い町内を舞台に数人の友達だけで物語が進むことが多いが、このシリーズでは大昔の地球や他の惑星といった非日常の世界を舞台に、その世界の住人や強力な敵などさまざまな人物が登場する。毎回『のび太の――』『のび太と――』とタイトルに付けられている通り、のび太たちの成長と活躍が主に描かれている。いつもはダメな少年のび太が、冒険が始まると露骨にかっこよくなる(いつも通りの失敗などもあるが、ゲストキャラクターを助けて奔走したり、敵に果敢に立ち向かったりといった描写が多くなる)、という指摘もある(『のび太と銀河超特急』ではスネ夫までが、のび太をさして「大長編になるとかっこいいことを言う」と発言し認めている。そしてジャイアンが好人物になるといわれることもある)。
このシリーズでは主要なメンバーがのび太、ドラえもん、ジャイアン、スネ夫、しずかの5人に固定されており、基本的に5人とその話のゲストキャラを含めた自力で危機を解決する。タイムパトロールなど例外はあるが、第三者、ことに「現在の地球にある存在(小は出木杉やのび太の両親、大は自衛隊や国際連合など)」が問題解決の本筋に介入することはない(ただし、のび太と鉄人兵団では、自衛隊や警察に協力要請をする電話をするが相手にされないという描写がある)。
こうした事情のため、短編とは人間関係がやや異なる。たとえば、短編ではジャイアンやスネ夫がのび太をバカにしたり仲間はずれにした仕返しに(ここまでは大長編でも導入によく使われる)、2人(特にジャイアン)を仲間はずれにして、静香や他の町の同級生たちと道具で遊ぶことがある。しかし、大長編ではジャイアンを締め出そうとして失敗することはあっても、結局は仲間になる。逆に、短編なら不特定多数の町の子供を誘うような場合でも、大長編では「いつもの5人」以外の町の子供は絶対に仲間に入れず、興味を持たれると嘘をついて追い返している(『のび太と雲の王国、のび太の日本誕生』など)。
1988年公開の映画『のび太のパラレル西遊記』のみ漫画が執筆されなかった。そのため『のび太の日本誕生』以降の作品の漫画版は、映画版のそれよりも作品数が1つ少なくなっている(例:のび太のワンニャン時空伝は、映画としては25作目であるが、大長編としては24作目)。
てんとう虫コミックスの単行本はのび太の海底鬼岩城 (VOL.4) 第1弾として発売され、その後のび太の恐竜 (VOL.1) →のび太の宇宙開拓史 (VOL.2) →のび太の魔界大冒険 (VOL.5) →のび太の大魔境 (VOL.3) →のび太の宇宙小戦争 (VOL.6) という順で発売された。そのため、のび太の恐竜やのび太の宇宙開拓史には映画主題歌を歌詞がかかれたページが存在するが、のび太の海底鬼岩城には主題歌の歌詞が書かれたページが存在しない(藤子不二雄ランドの単行本では存在する)。なお、のび太の魔界大冒険にも同様のページは存在しない(同作の主題歌「風のマジカル」は使用契約期限の関係でビデオやDVDにも収録されていないため、同種の理由により掲載されていないのだとする説がある)。また、のび太と雲の王国 (VOL.12) も作者病気のため原作が執筆されず、数年後に執筆されたため、次ののび太とブリキの迷宮 (VOL.13) よりも後に大長編ドラえもんが刊行された。
表紙には『大長編ドラえもん VOL.** のび太の(のび太と)――」と記されている(**は通し番号)。F先生死去後の作品はVOL.**の部分の背景が黒く塗られているほか、「まんが版▽映画シリーズ」という文字の追加、作者が「藤子・F・不二雄プロ」となっている。また、映画の同時上映作品や関連作品の書き下ろし漫画作品も同時に収録される場合もある。
『ドラえもん のび太の恐竜2006』(2006年公開)以降の作品に関しては単行本は発売されていないが、映画『ドラえもん のび太の恐竜2006』公開時には「特製アクションバッジ」とセットになった『のび太の恐竜』の単行本が、『ドラえもん のび太の新魔界大冒険 ~7人の魔法使い~』(2007年公開)公開時には「マジカル両面ストラップ」とセットになった『のび太の魔界大冒険』の単行本が発売された。また、映画『ドラえもん のび太の新魔界大冒険 ~7人の魔法使い~』は藤子・F・不二雄プロ在籍の岡田康則により、漫画版が『ドラえもん映画ストーリー のび太の新魔界大冒険』としてコロコロコミックに掲載された。
てんとう虫コミックスとして発売されている「大長編ドラえもん」の他に、小学館コロコロ文庫から文庫版としても発売されている。しかし、文庫版は作者の存命中に執筆された作品しか発売されていない。
第1作『のび太の恐竜』は、短編作品としてすでに発表されていたものに加筆したもの。コロコロコミック1980年1月号から3回にわけて漫画版が連載され、1980年3月15日にアニメ版が劇場公開された。
それから毎年、映画制作スタッフや原作者がストーリーを構成し、映画公開までに漫画版を集中連載し、漫画が完結したすぐあとの3月初旬から中旬に映画版を公開するというスケジュールが確立された。『のび太のねじ巻き都市冒険記』を最後に原作者は亡くなり、原作者死去後の『のび太の南海大冒険』(1998年)から、『のび太のワンニャン時空伝』(2004年)までは、映画制作スタッフによるオリジナルストーリーで映画の制作が継続しており、映画のストーリーを藤子・F・不二雄プロが漫画化している。
また短編に比べて物語の規模が大きいのが特徴。短編では狭い町内を舞台に数人の友達だけで物語が進むことが多いが、このシリーズでは大昔の地球や他の惑星といった非日常の世界を舞台に、その世界の住人や強力な敵などさまざまな人物が登場する。毎回『のび太の――』『のび太と――』とタイトルに付けられている通り、のび太たちの成長と活躍が主に描かれている。いつもはダメな少年のび太が、冒険が始まると露骨にかっこよくなる(いつも通りの失敗などもあるが、ゲストキャラクターを助けて奔走したり、敵に果敢に立ち向かったりといった描写が多くなる)、という指摘もある(『のび太と銀河超特急』ではスネ夫までが、のび太をさして「大長編になるとかっこいいことを言う」と発言し認めている。そしてジャイアンが好人物になるといわれることもある)。
このシリーズでは主要なメンバーがのび太、ドラえもん、ジャイアン、スネ夫、しずかの5人に固定されており、基本的に5人とその話のゲストキャラを含めた自力で危機を解決する。タイムパトロールなど例外はあるが、第三者、ことに「現在の地球にある存在(小は出木杉やのび太の両親、大は自衛隊や国際連合など)」が問題解決の本筋に介入することはない(ただし、のび太と鉄人兵団では、自衛隊や警察に協力要請をする電話をするが相手にされないという描写がある)。
こうした事情のため、短編とは人間関係がやや異なる。たとえば、短編ではジャイアンやスネ夫がのび太をバカにしたり仲間はずれにした仕返しに(ここまでは大長編でも導入によく使われる)、2人(特にジャイアン)を仲間はずれにして、静香や他の町の同級生たちと道具で遊ぶことがある。しかし、大長編ではジャイアンを締め出そうとして失敗することはあっても、結局は仲間になる。逆に、短編なら不特定多数の町の子供を誘うような場合でも、大長編では「いつもの5人」以外の町の子供は絶対に仲間に入れず、興味を持たれると嘘をついて追い返している(『のび太と雲の王国、のび太の日本誕生』など)。
1988年公開の映画『のび太のパラレル西遊記』のみ漫画が執筆されなかった。そのため『のび太の日本誕生』以降の作品の漫画版は、映画版のそれよりも作品数が1つ少なくなっている(例:のび太のワンニャン時空伝は、映画としては25作目であるが、大長編としては24作目)。
てんとう虫コミックスの単行本はのび太の海底鬼岩城 (VOL.4) 第1弾として発売され、その後のび太の恐竜 (VOL.1) →のび太の宇宙開拓史 (VOL.2) →のび太の魔界大冒険 (VOL.5) →のび太の大魔境 (VOL.3) →のび太の宇宙小戦争 (VOL.6) という順で発売された。そのため、のび太の恐竜やのび太の宇宙開拓史には映画主題歌を歌詞がかかれたページが存在するが、のび太の海底鬼岩城には主題歌の歌詞が書かれたページが存在しない(藤子不二雄ランドの単行本では存在する)。なお、のび太の魔界大冒険にも同様のページは存在しない(同作の主題歌「風のマジカル」は使用契約期限の関係でビデオやDVDにも収録されていないため、同種の理由により掲載されていないのだとする説がある)。また、のび太と雲の王国 (VOL.12) も作者病気のため原作が執筆されず、数年後に執筆されたため、次ののび太とブリキの迷宮 (VOL.13) よりも後に大長編ドラえもんが刊行された。
表紙には『大長編ドラえもん VOL.** のび太の(のび太と)――」と記されている(**は通し番号)。F先生死去後の作品はVOL.**の部分の背景が黒く塗られているほか、「まんが版▽映画シリーズ」という文字の追加、作者が「藤子・F・不二雄プロ」となっている。また、映画の同時上映作品や関連作品の書き下ろし漫画作品も同時に収録される場合もある。
『ドラえもん のび太の恐竜2006』(2006年公開)以降の作品に関しては単行本は発売されていないが、映画『ドラえもん のび太の恐竜2006』公開時には「特製アクションバッジ」とセットになった『のび太の恐竜』の単行本が、『ドラえもん のび太の新魔界大冒険 ~7人の魔法使い~』(2007年公開)公開時には「マジカル両面ストラップ」とセットになった『のび太の魔界大冒険』の単行本が発売された。また、映画『ドラえもん のび太の新魔界大冒険 ~7人の魔法使い~』は藤子・F・不二雄プロ在籍の岡田康則により、漫画版が『ドラえもん映画ストーリー のび太の新魔界大冒険』としてコロコロコミックに掲載された。
てんとう虫コミックスとして発売されている「大長編ドラえもん」の他に、小学館コロコロ文庫から文庫版としても発売されている。しかし、文庫版は作者の存命中に執筆された作品しか発売されていない。
忍者ブログ [PR]